「ニーバーの祈り」をご存じでしょうか?
有名な言葉なので、似たような趣旨の名言をどこかで聞いたことがあるかもしれません。
ここでは『嫌われる勇気』で説かれる「自己受容」をテーマに、ニーバーの祈りを紹介していきます。
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1.古くから伝承されてきた「ニーバーの祈り」
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ
ニーバーの祈りとは、上記のようなものです。
私がこの言葉と出会ったのは、『嫌われる勇気』を読んでいたときでした。
同書のなかで登場する哲人いわく、
キリスト教社会で古くから口承されてきた「ニーバーの祈り」という有名な言葉です。
とのこと。
私も初めて読んだときには、どこかで読んだような既視感を感じましたが、それほど有名な言葉である証なんでしょうね。
2.「変えられるもの」に注目する
哲人 課題の分離もそうですが、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。われわれは「なにが与えられているか」について、変えることはできません。
しかし、「与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができます。
だったら「変えられないもの」に注目するのではなく、「変えられるもの」に注目するしかないでしょう。
ニーバーの祈りでいわんとしていることは、次の3点となりましょう。
- 不変なものごとは、そのまま受け入れる
- 可変なものごとは、変えていく
- その2つを見極められるようになる
たとえば、過去・未来・現在を例にとってみましょう。
この場合、私たちが変えられるのは「現在」のみです。
過去に起こった出来事も、これから起きる未来の出来事も、いまの私たちは変えることができません。
しかし、「過去をどうとらえるか」「未来をどのように迎えるか」という態度は、現在の私たちに委ねられています。
これらの態度を変えることは、「変えられること」に分類されます。
こうして「現在=変えられる」「過去・未来=変えられない」という2つの真理を見分けることが、重要になるわけですな。
ニーバーの祈り通りに、私たちが落ち着き・勇気・知恵を身につけたとしたら。
変えられないことにこだわって消耗することがなくなり、変えられることをどんどん変えていけるようになれば、私たちは幸福な人生に限りなく近づけるような気がしますね。
3.自己肯定ではなく、自己受容
ちなみにこのニーバーの祈りは、『嫌われる勇気』にて「自己受容」をテーマに対話している場面で紹介されました。
自己受容と似ている言葉として「自己肯定」があげられますが、哲人によるとこの2つはまったく異なるものとのこと。
自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。
つまり自己肯定ってのは、無理なポジティブシンキングで現実逃避する、「引き寄せの法則」に近いものといえましょう。
対して自己受容は、ありのままの自分をありのままに受け入れることであります。
「勉強ができない自分」がいたとして、それを「そんなのは自分の本来の才能ではない!」と考えるのが自己肯定、「たしかに自分は勉強ができないから、努力して勉強ができるようになろう」と考えるのが自己受容であります。
どちらが健全な態度か、一目瞭然ですね。
ニーバーの祈りの言葉のように、「変えることのできない物事を受け入れ」、「変えることのできる物事を変える」ことを忘れないようにしましょう。
まとめ
- 古くから口承されてきた「ニーバーの祈り」
- 可変なものを変え、不変なものを受け入れ、その2つを見極めるべし
- 自らに嘘をつくことなく生きる「自己受容」の人生を送ろう
以上、『幸福な人生のヒントとなる「ニーバーの祈り」を知ってますか?』という記事でした。
なお、『嫌われる勇気』では、自己受容とともに「他者信頼」「他者貢献」も大切なキーワードとなっています。
これら3つを身につけ、「共同体感覚」に至ることができれば、幸福な人生が実現するのであります。
この辺りは『嫌われる勇気』をじっくり読んで、理解を深めるのがよいでしょう。
幸福な人生を送るため、『嫌われる勇気』をもう一度読み直してみましょう。