よく「自分探しの旅」なんていわれるように、今の自分ではない「ほんとうの自分」がどこかにいるんじゃないか?と考える人は少なくないでしょう。
『幸福の「資本」論』では、ほんとうの自分がいるのは「過去」だぞって話が書かれていておもしろかったです。
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1.「ほんとうの自分」はどこにいる?
今の生活に不満があったりすると、つい「自分探しの旅」に出たくなってしまうものです。国内外を旅していろんな価値観に触れてくれば、自分が目指す方向が明らかになるんじゃないか…みたいに考えるのは私だけではないでしょう。
しかし、そうやって自分探しの旅に出た人が、ほんとうの自分を見つけられた…なんて話は聞いたことがありません。実際に自分探しの旅に出るような行動力ある人が少ないってのも理由ですが、そうした旅でも、ほんとうの自分に出会えないのが普通なのでしょう。
自分探しの旅に出る勇気がない、または旅に出てみたけど結局見つからなかった…なんて人は、どうやってほんとうの自分を探せばいいんでしょうか?
2.子ども時代のキャラと、大人になってからのキャラ
『幸福の「資本」論』では、ほんとうの自分は「過去」にいると書いています。
「自分探し」はすっかり陳腐化し、いまや鼻で笑われる言葉になってしまいましたが、それでもなお消えずに残っているのは、私たちがみな「ほんとうの自分がどこかにいる」という感覚を共有しているからでしょう。そしてこの感覚は、間違ってはいません。「ほんとうの自分」はたしかに存在するのです。
いったいどこに? それは、あなたの過去です。
ここでいう「過去」というのは、小学生くらいまでの子ども時代のことと考えればよいでしょう。だれでも同級生のグループのなかで、なにかしらのキャラを演じていたはずです。
スポーツマンキャラだったり、インテリキャラだったり、あるいはリーダー的存在だったり。んで、「ほんとうの自分」がどこかにいるんじゃないかって気がしてくるのは、この子ども時代のキャラと、大人になってからのキャラに違いが生じてしまっていることから生まれる感覚なのでは?というのです。
大人になると、リーダーキャラでないひとが上司の役割を担わされたり、本来は道化キャラなのに公務員などかたい仕事をすることもあります。そしてこのような「キャラちがい」が起きたとき、ひとは「ほんとうの自分じゃない」と感じるのです。
3.子どもの頃演じていたキャラが、「ほんとうの自分」では?
つまり、子どもの頃演じていたようなキャラを、素の自分として振る舞えるようになったとき、はじめて私たちは「ほんとうの自分」に出会えた、と感じるんじゃないでしょうか。
大人になってから子ども時代のキャラを思い出すってのは、なかなか照れくさくて恥ずかしいもので、実践するのは難しいかもしれません。でも、「たしかにそうかも?」と思う気持ちが少なからずあるんじゃないでしょうか。
実際、私は読書が好きだった子どもでして、今でも本を読むことは人生で一番大きな楽しみの1つだったりします。また、子どもの頃は周囲の人を笑わせるのが好きだった記憶もあります。おもしろいことを言ったり、お笑い番組を見たりすると楽しい気分になるのも、そのあたりにルーツがあるのかもしれません。
音楽好きな子どもだったのなら、音楽に触れているときが「ほんとうの自分」だと感じるかもしれません。グループの中心的存在だったのなら、人の下で働くよりも、管理職として働くほうが「ほんとうの自分」だと感じやすいはずです。
そんな感じで、子ども時代のキャラを軸にほんとうの自分探しをすると、案外すぐに幸福な生き方が見つかるのかもしれませんね。
まとめ
以上、「ほんとうの自分」を探す自分探しの旅は、子ども時代を振り返ってみるといいかもしれない、って話を書いてきました。
わざわざ高いお金を出して旅行に行くよりも、小学校時代の同級生と思い出話に花を咲かせてみるほうが、ほんとうの自分が見つかりやすいのかもしれません。
「ほんとうの自分」を探したい方は、1つの考え方として参考にしてみてください〜。