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「昨日の自分に教えたいこと」をテーマに書き散らしてます

いじめの被害者だったけど、トラウマも苦手意識もないよって話

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あまり人には言ったことがない過去なんですが、小学生の頃ちょっとしたいじめを受けていた時期がありました。でも、その経験がトラウマになったり、同級生たちに苦手意識を持ってはいないよって話です。

小学生の頃いじめのターゲットに

私自身あまり家庭環境に恵まれなかったこともあって、「風呂には1週間1ヶ月入らないのが当たり前」「歯磨きもしないのが当然」「家に帰ったらテレビ見てゲームして寝る」って生活でした。それが原因となって、小学生のころにちょっとしたいじめを受けていたんですね。

自分の持ち物が隠されたり捨てられたり、暴力を振るわれたりといったものではないものの、たとえば隣同士の席なのに机をくっつけてもらえないとか、給食のときにハブられるとか、「○○菌だ〜」みたいなゲームの標的になったりしたくらい。

今思えば、おそらく自分に近づくと不衛生な臭いがしたり、服とか髪の毛が不潔だったから、いじめの対象になったんだろうなって予想がつきます。もしちゃんとした生活習慣を身につけていれば、そんな状況に巻き込まれることはなかったはず。

その証拠に、自発的にお風呂に入って歯磨きもして、服も洗濯して暮らすようになった高校時代には、いじめの対象にはならなかったですし(中学時代にもやっぱり臭いが原因で些細ないじめはあった)。

トラウマはなく、同窓会にも出席するほど

ただ、そうしたいじめの過去がトラウマになって、小学校や中学校のことを思い出すと気分が悪くなる…みたいなものは持ち合わせておりません。

「ああ、そんなこともあったけど、自分のほうも悪かったし別にいいんじゃね」「悪いのはうちの両親だしね」みたいな感じで、受け流すことができる出来事になっています。

nogunori.hatenablog.com

実際、半年くらい前には地元の小学校のメンバーが集まる同窓会に参加して、会食恐怖症って別の不安はあったものの、過去のことは忘れて楽しい時間を過ごせましたし。

過去は変えられないが、過去への解釈は変えられる

nogunori.hatenablog.com

結局のところ言いたいのは、例のごとく「過去は変えられないが、過去への解釈は変えられる」っていうアドラー心理学の考え方です。

私の場合「いじめを受けていた」っていう出来事への解釈を変えて、「親の教育のせいでいじめを受けていた」と考えることにしています。これによって「悪いのは両親だ!」となって、いじめの出来事自体にあまりマイナスイメージを持たなくなったわけです。

まあ、私の場合はいじめの程度もたかがしれていますし、小学校高学年になる頃にはいじめの規模も落ち着いていたので、あんまり強烈な記憶になっていないってのも考えられますけど。

というわけで、改めて『嫌われる勇気』を読み返してみて、トラウマや原因論を否定する考え方を身につけてみると、私みたいにちょっと楽な人生を歩めるようになるかもしれません。