先日久しぶりに実家と連絡を取ってみると、中学生の弟が不登校になってしまったっていうニュースを聞きました。個人的には、勉強していい成績さえ取れば不登校だって問題はないという考え方ではあります。
しかし、いざ自分の子どもができて、不登校に陥ってしまったら、私はどうすべきなんだろうって考える機会になりました。今の考えを整理しておこうと思います。
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1.実家の弟が不登校になったらしい
実家の祖母が認知症になったかもしれない…っていう連絡を受けて、久しぶりに実家に帰って過ごすことになりました。祖母の件は役所の人と協力してなんとかするとして、私が気になったのは弟のほう。
私には下に1人の妹と3人の弟がいるんですが、そのうちの1人が中学校に行かなくなってしまったとのこと。今年の夏頃から完全に不登校になってしまい、今では1日中実家でゲームをして遊んでいるんだとか。
詳しい話は聞いていませんので、同級生にイヤなことをされたとか、部活でなんかあったとか、あるいは単にゲームしたかったとか、どんな理由で学校に行かなくなっちゃったのかは不明。
とりあえず高校・大学と進学した身分として、「勉強していい成績を取っとけば、学校行かなくたっていいさ」なんて当たり障りのないアドバイスをしたのでした。
2.もし自分が不登校の親になったら?
んで、そろそろ自分の家族とか子どものことも考えていい歳になってきたんで、「もし自分の子どもが将来不登校になったら」なんて考えてしまうわけです。そのとき親としてどうすべきなんだろう、と。
間違っても、ムリやり学校に連れて行く…なんてのは避けるべきでしょうね。ムリやり連れて行かれて、それで以後は自発的に学校に行ける…なんて可能性は低いでしょうし。
厳しく叱ったり叩いたり、罰を与えたりすることも子どものためにはならないように思っています。だったらどうしたらいいのか。
3.アドラー流の「課題の分離」と「援助」を心がけたい
ひとまず私は、アドラー流の「課題の分離」を忘れないようにしたいところであります。つまり、学校に行くかどうかを決めるのは子どもの課題であって、親が強制できるものではないってことですね。
「不登校の子どもを持つ親」という世間体が気になるって大人が世の中にはいるのでしょうが、それは世間体を気にしてしまう弱さを親自身が解決すべきことであって、親戚や近所の人たちに相談して理解を求めるよう行動しなきゃいけません。
課題を分離して「学校に行くかどうかは自分で決めていい」ことを伝えることが大切なんじゃないっすかね。それでも決して放任主義にならないよう、並行して「援助」をすることにも注意したいところ。
課題の分離ができていないと、子どもの課題にズカズカ踏み込んでいくことになってしまいますが、「子どもも所詮他人だし」と一線を引いてしまえば関係性が崩れかねません。
そこで、「いつでも通学をサポートする用意があるよ」という援助の姿勢を見せておくことが有効なんじゃないかと。「学校に行こうと思ったら声かけてね。担任の先生にも相談して、クルマで送り迎えしてあげるから」という姿勢です。
もしそんな風に自分が言われたとしたら、「見守られている、安心できる」という感覚が得られると思うんですよ。ムリして学校を強要されることもないし、自分が勇気を出したら親が支えてくれるんだ…っていう。
課題の分離と援助の姿勢、この2つで不登校の子どもの向き合っていきたいな〜と思うのでした。
まとめ
以上、もし自分の子どもが不登校になったら、親としてどうすべきなのかってことについて、私の考えを書いてきました。
もちろん、不登校になる前に予防策を打つことも大切だと思います。自宅や親に依存せず、友達と良好な関係を築けるようにサポートしてあげたり、困ったことをすぐ相談できるように親子の信頼関係を深めたり。
でも、ふとした拍子に不登校になってしまう可能性は決してゼロにはならないと思うので、こういうことを20代のうちから事前に考えておくのは意義あることなんでしょう。