時々「こんな親の元に生まれなければ、俺はもっと幸せだったのに」的な発言をする人がいますよね。私自身もあんまり恵まれた環境で育ったわけではないんですが、この言葉には違和感を覚えます。
今回は、いつまでも親のせいにして後ろ向きでいるのはやめよう!って話です。
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1.「親が原因でこんな自分になった」は間違い
このブログでも何度か書いてきましたが、私はあんまり恵まれた環境で育った子どもではありませんでした。一時期は施設で保護されていたこともあったし、何度も役所のお世話になったことを覚えています。
そんな幼少時代のことを詳しく話すと、例外なく「大変だったね〜」「いい子に育ってくれてよかった〜」みたいな声をかけてもらえます。それはそれでイヤな気はしないんですが、ちょっと引っかかることがあったりもします。
それは、「悪い親の元では悪い子どもが育つ」って前提です。
2.毒親を持つ人格者だって少なくない
だらしない親を持てば、たしかにだらしない子どもに育ってしまう可能性はあるでしょう。しかし、中には親を反面教師にしてたくましく育つ子どもだっているはず。
毒親を持っているからこそ、人一倍やさしくて気遣いができる人格者になる可能性だってあるわけです。
それにも関わらず、「親のせいで自分はこうなった」「違う親の元に生まれていれば人生違ったのに」なんて考えるのは、なんか違うよな〜って思うんですよね。
3.原因論から離れ、トラウマを否定することから
自分の今の人生を親のせいにしてしまうのは、『嫌われる勇気』でいう原因論にもとづく考え方です。「自分は子どもの頃に虐待を受けたから、人を信じられなくなった」みたいな。
しかし、もし人間不信の原因が親の虐待にあったとしたら、親から虐待を受けた子どもはもれなく人間不信になっていないといけません。実際にはそんなことはありませんよね。
『嫌われる勇気』では、「トラウマは存在しない!」という考え方も提示されています。これは「トラウマなんて気の持ちようだ!」みたいな精神論ではなくって、「人付き合いを避けたいって願望があるから、その原因として親の虐待を持ち出しているのだ」というものです。
つまり、これも原因論ですね。大元の「人付き合いを避けたい」という気持ちを認めて、親のことは関係ないことだって思えるようになれば、過去の出来事に縛られることなく生きていけるはず。
なんでもかんでも親のせいにしてしまう前に、『嫌われる勇気』で取り上げられている原因論から離れることを目指してほしいなって思うのであります。
まとめ
以上、「こんな親の元に生まれなければ」と考えてしまう人に向けて、私の考え方を書いてきました。
どんな親を持っていて、過去にどんなエピソードがあるかってのは千差万別ですが、1つだけいえるのは「過去の出来事への解釈は、いくらでも変えられる」ということです。
「親のせい」ではなく「親のおかげ」と解釈を変えることによって、前向きに人生を歩んでいきたいものですね。