「本気になれば俺だって…」「いつかは理想の人が現れて幸せに…」
そんな風に「可能性のなか」を生きてしまうことがあります。
でも、そんなライフスタイルでは前には進めないんで、「いま、ここ」を生きようぜって話です。
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1.俺が本気を出せばこんなもんじゃない?
「本当の私はこんなもんじゃない」
「もしあのときこうしていたら、違う結果だったろうに」
「いつか理想の人が現れさえすれば、幸せになれる」
などと、可能性のなかに生きる人たちがいます。
現実を直視せず、理想の自分を思い描いてしまうパターンですね。
たしかに、可能性のなかの自分を空想するのは楽しいものです。
「本気になれば自分だって…」と考えれば、目の前の失敗も正当化できますし、自分を納得させることができます。
でも、そうやって可能性のなかに生き続けている限り、決して前へは進めません。
2.可能性のなかに生きていても進めない
たとえば、『嫌われる勇気』では可能性のなかに生きてしまう小説家の例がでてきます。
彼によると、仕事が忙しくて小説を書く時間もままならない、だから書き上げられないし、賞の応募に至らないのだそうです。
ですが、同書に登場する哲人によれば、この小説家は「変わらない自分への言い訳」をしているにすぎないと語ります。
実際のところは、応募しないことによって「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。
人の評価にさらされたくないし、ましてや駄作を書き上げて落選する、という現実に直面したくない。
時間さえあればできる、環境さえ整えば書ける、自分にはその才能があるのだ、という可能性のなかに生きていたいのです。
まさにその通りな話で、ドキッとする言葉でもあります。
たしかに、いくら厳しい評価を受けたくないからといって「時間がなくて小説が書けない」なんて言い訳するのは、健全な生き方とは思えません。
じゃあどうすればいいのかというと、こうした「可能性のなかに生きる」というライフスタイルを変化させることが大事なのです。
賞に応募して、落選するならすればいいのです。そうすればもっと成長できるかもしれないし、あるいは別の道に進むべきだと理解するかもしれない。いずれにせよ、前に進むことができます。
いまの状態から一歩踏み出し、ライフスタイルを変化させる。
現状を変えることさえできれば、さらに努力するなり、ほかの道を選択するなり、次につながるアクションを起こすことができます。
そうなってはじめて、可能性のなかではなく「いま、ここ」を生きることができるようになります。
3.「いま、ここ」に集中してみよう
アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。
自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。
アドラー心理学では「目的論」を掲げるという特徴があります。
人間は過去の原因に縛られる存在ではなく、ある目的に沿って行動するものである、と。
「可能性のなかに生きる」というライフスタイル(目的)は、自分で選んだあり方です。
自分で選んだライフスタイルである以上、自分で変えてしまうことも可能なはず。
自らの意志で「可能性のなかに生きる」という生活をやめ、「いま、ここを生きる」というライフスタイルに転換させることはじゅうぶんに可能です。
現実逃避するのではなく、能力や経験が足りない自分を直視し「これからどうすべきか」を考えることで、前へ進めるようになるでしょう。
「いま、ここを生きる」ってのは西洋でいう「マインドフルネス」の考え方でもありますが、私たちもこういう考え方で生きていきたいものですね。
まとめ
- 「本気を出せば俺だって…」と現実を直視しないのは、不健全な生き方
- 「可能性のなか」を生きている限り、前に進むことはできない
- ライフスタイルを転換させ、「いま、ここ」を生きるべし
以上、『「可能性」のなかに生きてはいけない!「いま、ここ」を生きるべし』という記事でした。
可能性のなかに生きるってのは、ラクだし楽しいし、なんの努力もいらなくてお手軽なものです。
でも、そうした空想に浸ってばかりでは、いつまでたっても成長できないし前へ進めないのです。
「いま、ここ」を真剣に生きることによって、着実に前へ進んでいけるようにがんばりましょう。