アドラー心理学を扱う『嫌われる勇気』では、賞罰教育を厳しく批判しています。
褒めることも叱ることも、やってはならないというのです。
なぜそんな態度をとるのか、ここで解説していきます。
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1.承認欲求にとらわれてはいけない
アドラー心理学の入門書『嫌われる勇気』では、私たちは他人からの承認を求めてはいけないと説きます。
つまり、承認欲求を否定するわけです。
アドラー心理学の大前提をお話ししましょう。アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。
なぜ承認欲求を否定するのかといえば、他者から承認を求めることは「他者の期待を満たすこと」と同義だからであります。
そうではなく、他者に承認されなくてもいい(=嫌われてもいい)という勇気を持つことこそ、私たちが幸福な人生を歩む指針となる、という理想を掲げているわけです。
賞罰教育が承認欲求を生み出す
この承認欲求は、人間にとって普遍的な欲求といわれます。
「マズローの欲求5段階説」でも、承認の欲求は上から二番目に位置していますしね。
いったいどうして人は他者からの承認を求めるのか? 多くの場合それは、賞罰教育の影響なのです
なぜ私たちが他者の承認を求めがちになるのか、それは「賞罰教育」が影響しているといいます。
2.賞罰教育による誤ったライフスタイル
賞罰教育ってのは、いいことをしたら褒められ、悪いことをしたら叱られるって教育方法ですね。
私たちのほとんどは、幼少時代こうした賞罰教育のもとで育っているはず。
いや、すべての人が賞罰教育のもとで育てられたといっても問題ないでしょう。
しかし、この教育方針をアドラーは批判しているのです。
適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。
賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。
職場でごみ拾いするのはだれのため?
この賞罰教育の悪影響を考えるにあたって、興味深い事例があります。
たとえばあなたが職場でごみ拾いをしたとします。それでも、周囲の人々はまったく気づかない。あるいは、気づいたとしても誰からも感謝してもらえず、お礼の言葉ひとつかけてもらえない。
さて、あなたはその後もごみを拾い続けますか。
職場のみんなのために行動しているのに、だれからも褒めてもらえず、承認してもらえない。
だったら、もうこんなことやめてやる!と考えてしまうかもしれません。
しかし改めて考えてみると、この考え方ってなんだか奇妙なように見えてしまいます。
ほめてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことはするまいと決心する。
明らかにおかしな話でしょう。
私たちが職場でごみ拾いをする場合、頭のなかにあるのは「これをすればだれかに褒めてもらえるぞ!」という下心なんですな。
そして期待通りに褒めてもらえなかったとき、同僚や上司に怒りの感情を覚えます。
共同体への「貢献感」を持つべし
本来は「きれいな職場を保つことによって、仲間に貢献している」という実感を得ることが目的であるべきです。
その方が健全ですし、アドラー心理学が幸福な人生のための「導きの星」として掲げる「貢献感」を満たすことにもつながります。
こうした考え方(ライフスタイル)の方が、ずっと幸せになれる可能性が高いってことであります。
この承認欲求を生み出す賞罰教育。
私たちは、この賞罰教育の呪縛から、部下や子どもたち、後輩や生徒を解放しなければいけません。
3.相手を操作してはいけない
また、賞罰教育にはもうひとつ負の面があります。
それは、相手を操作するための道具として使っていることです。
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。
アドラー心理学が賞罰教育を強く否定しているのは、それが子どもを操作するためだからなのです。
子どもであれ大人であれ、女であれ男であれ、私たちは本質的に平等な存在であることに疑問の余地はないでしょう。
子どもは大人に従属する存在であり、女は男のいうことに従わなければならない…なんてことは、許されないはず。
しかし賞罰教育を実践する人たちは、「褒める」「叱る」という行為によって、相手を支配し、思い通りに操作しようとしているのです。
「母親と子ども」「妻と夫」の関係
ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。夕飯の準備を手伝ってくれた子どもに対して「お手伝い、えらいわね」とほめる母親がいる。しかし、夫が同じことをした場合には、さすがに「お手伝い、えらいわね」とはいわないでしょう。
この母親と子ども、妻と夫との関係を例にした話ならわかりやすいでしょう。
「褒める」「叱る」といった「縦の関係」で人間関係をとらえるのではなく、「横の関係」でとらえることをアドラー心理学では提唱しています。
「横の関係」を築くことができれば、競争から解放され、他人の協力することが可能になります。
競争する必要がなくなり、だれもが相手を仲間だと思えたとき、そこには不正や詐欺のない幸せな世界が目の前に開けることでしょう。
まとめ
- 賞罰教育の結果、私たちは承認欲求に縛られ「他者の期待する人生」を歩むことになる
- 褒められないならいいことをしない、叱られないなら悪いことをする、という誤ったライフスタイルにもつながる
- 「褒める・叱る」ことは、相手を自分の支配下に置こうとする不健全な行為
以上、『なぜ賞罰教育をやってはいけないのか』という記事でした。
賞罰教育によるデメリットにかんして、じゅうぶん理解できたと思います。
私たちは褒める・叱るという行為をやめ、だれとでも同じように接するべきなんですな。
子どもや部下、生徒などに接するときは「相手が対等な立場の人間だったらどう接するか?」と考えるといいかもしれません。
自然と「ありがとう」という言葉が出てくるでしょうし、「あれをしてくれたら、ごほうびをあげよう」なんて命令もしなくなるでしょう。
こうして「横の関係」を築けるように努力し、これからの暮らしを幸せな人生にしていきたいですね。