少し前に、Amazonのスマートスピーカー「Alexa」を買ってみたことがありました。スマートスピーカーを使えば、家電や家のカギなど、さまざまなものをスマホから操作できるスマートホームを実現することができます。
ただ、私が実際にAlexaを使ってみて感じたのは、自分には必要ないなということ。ちょっと不便でも、シンプルな暮らしを追求したいと思った話です。
スマスピを買って思った「これ、いらない」
先月のことですが、Amazonのスマートスピーカーが実質19円購入できるってキャンペーンを見つけました。これまでスマートスピーカーに興味がなかった私も、ちょっと試してみようと思って注文してみたことがあったんですね。
実際に使用してみた感想は上の記事で書いていますが、もし19円のキャンペーンがなくて、定価の5,980円で買うかっていわれたら、ノーと答えるだろうって意見は今も変わりません。
スマートスピーカーっていえば、「Alexaに話しかけて明日の天気を聞いたり、ジャズを流したりするのに便利」とよくいわれますけども、ぶっちゃけそれ以外の用途にはまったく使えませんしね。
シンプルで不便な暮らしは、不幸じゃない
スマートスピーカーに対応した家電とかスマートデバイスを使うと、Alexaに話しかけるだけで電源のオンオフを操作したりすることができます。「アレクサ、エアコンつけて」みたいな感じで。
リモコンなしで家電を操作できるのは便利だよな〜って思っていた時期もあったんですが、よくよく考えてみると「そこまでして手間を減らす必要があるのか?」と思えてきます。
しかしスマホを操作して帰宅前に風呂を 沸かすとかエアコンをつけるとか、冷蔵庫がネット接続されて 喋るとか、こういうのは「ちょっと便利」でしょうか? 本当に必要なのかと疑問です。
『長生きにこだわらない』って本でも、同じようなことが書かれています。
「不便だけど、不幸じゃない」って言葉もありますが、スマートホーム化しなくても不幸になるなんてことはありません。むしろ、生活がシンプルになって暮らしやすくなるんじゃないかと思います。
「主体性」を放棄することなく生きていこう
『長生きにこだわらない』によれば、以下のように述べられています。
勝手にやってくれる(やって欲しい)という姿勢の先に待ち受けるのは、心身の硬直化です。人は便利さへと 舵 を切りたがりますが、動物として持っている機能、本能という視点で見れば、ある一線を越えてはなりません。
その一線こそ、自ら動き、自ら考える「主体性」です。
私も、あまりに便利さを追求してしまって主体的に生きることを放棄してしまわないように、心がけたいものです。